~希望だけを握りしめて世界一周へ 旅の記録~

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標高3700m 南米 ボリビアのウユニ塩湖

人生の危機的状況。


ビジネスが思うように上手くいかず、
私はいつものように
状況を好転させるために
パソコンの前に座っていた。



今まで上手くいってきたことが
まるで上手くいかない。



好転させるために
試行錯誤してきたことは
山のようにある。



行動しまくってきた。


ところがほとんど空回り。



具体的になにをどうしたら
良くなるのかまるでわからず、
何もしないわけにはいかないので、
ひたすらブログを書いていた。




そこに、一通のメッセージが届いた。


「行く」と決めたのは、
その文章を読んだ直後だった。




人生の危機的状況。


もし、それが自分の身に訪れたら
その人にこう伝えたい。


それはまさに、
この世界は自分そのものであるという
宇宙的な自己を思い出す
招待状が届いている。


「幸運なことだね」


不安や恐怖で
夜中に目が覚める。


そんな経験はある?



”このままずぶずぶと
悪い方向に人生が流れていく。


そして取り返しのつかない事態になって
自分の人生が終わっていく”



そんな悪い想像が勝手に湧いてきて、
じわじわと心地悪い感情が
お腹の底から這いあがってくる
感覚は感じたことある?



お金がなくなることが怖い。
時間がなくなることが怖い。
失敗することが恐い。


現状はネガティブなまま
何も変わらない未来に
行くことが恐い。



そんな恐怖を感じたことは?

私はこれを全部感じて
体験してた。



時間的余裕も、金銭的余裕も、何もない状態で、
それでも私は思い切って旅に出た。


42日間、南半球を世界一周する旅に。



正直、世界なんて旅している場合じゃなかった。


でも希望だけを握りしめて行った。
これは、その記録。




わずか1カ月ちょっと前のこと。




****

ドバイを訪れたのは2026年の1月末。戦争が始まるなんて微塵も感じられない。

他人からはあんまりそうは見えない
状況だけど、
自分の中でしかわからない
危機的状況はある。



行くのをやめようと思っていた
この旅に、
気づいたら「行く」と決めていた。
ある文章によって。



自分自身の現実を生きる土台が
アップデートされることにも
触れていく。



ちなみに「ある文章」は
ここでは公開はしない。



そして、アップデートされる
私自身のさまざまな事についても
言葉にできないものがたくさんある。



真理に基づいていて
日々さまざまなことが起きている。


旅の間もそうだった。


世の中では常に言われている。
言葉にした時点でそれは真理ではない。




「なんか、偉そう」

「話している内容も、
語り口調も
偉そうに感じる。」


ここまで読んで
そう感じただろうか。



この先、読み進めるのに
若干の抵抗を感じている人も
いるかもしれない。



自分以外の他者にも
読んでもらうために
書いてはいるが、
自分の世界に籠らないと
純粋な表現が難しくなるので
自分だけの記録用としての
文体になっている。




つまり、
限りなく自分との対話として
ここに記録している。




語り口調や内容そのものに
不快な気持ちを感じさせて
しまうかもしれないが、
書き手の背景を伝えることで
それが和らぐと信じて
予め伝えておこうと思う。




最初に記しておくが、
42日間の旅に出て、
これを書いているのが35日目。
(編集も含めるとそれ以降の日数も)



もう一カ月以上経っている。



しかし、今の私は
とても豊かさを感じている。



そして、旅に来れたことを
とても満足している。



確実に生まれ変わった感覚があるからだ。



そして旅に出る前に感じていた
夜も眠れないほどの
不安や心配がない。



ただ、
完全に不安や恐れや心配が
ゼロになったかというと
そうではない。



この旅が終わって以降の
人生の台本では
どんな”現実という舞台”を
生きれるのかは
その時になってみないと
わからない。




しかし、この記録を
書きながら段々と
解像度は増している。




不安や心配や恐れに
度々飲み込まれてきた人に
読んでもらえたら嬉しい。


現実が思うようにいかないと
感じている人にも。




さて、冒頭の
旅に出る状況ではないところから
なぜ世界一周のハードな旅に
出かける勇気を持てたのかというところに
少し触れておく。




この旅が始まる直前に知った情報として
今の私はホロスコープ的に見て
ウラヌス・オポジションという時期らしい。



ちなみに私はホロスコープに関して
一切の知見がない。



たまに見てもらうことはあっても
それ以上に興味をもって
知ろうとしたことはない。



この旅を発起してくれた方が
この旅に行く目的として
ホロスコープという
ツールを使って
参加者それぞれの役割や気質を
共有するために教えてくれた。

砂漠をラクダに乗って歩いたら、とても不思議な感覚になりました。


ちなみに
「ウラヌス・オポジション」
とは何かというのは



********

約40歳〜42歳頃に訪れる
「中年期(ミッドライフ)の危機」
の主要な転換点であり、
突然の変革、独立心、既存の価値観からの
解放が促される時期を指す。



この時期は、現在の仕事や人間関係、
またはライフスタイルにおける限界を感じやすく、
変化を恐れずに自己変革を受け入れることで、
より自由で革新的な人生へと
進化できるチャンスとも解釈される。


********


ということだそう。
これはインターネットで検索。



まさに今、

・人生の転換期にいるかもしれない。

・今までの自分から脱皮しなければいけない焦燥感がある。


・これまでの生き方に限界を感じる。


・人生がこのまま過ぎていって良いのだろうか。



そんな風に危機感や
漠然とした不安を感じている人には、
この個人的な旅の記録が
人生を変化させるぐらいの
きっかけになるかもしれない。





「人生の転換期として非常に重要な時期」
と、
この世界一周の旅が重なることは
とても運命的なものを感じたので、
清水の舞台から飛び降りる勢いで
最小限の荷物ででかけた。




荷物は、機内持ち込みできるサイズの
小サイズのキャリーケース。


そして38ℓのバックパック。
主な荷物はその2つ。




この旅を、自分の見栄や虚栄心を
満たす行動や、
充実したリアルを自慢するための
消費旅行にするつもりはなく。



本気で人生を大きく変えるつもりで
未来の可能性に大きく賭けて
旅に出た。

■行く前のマーヤ(悪魔的な幻)

スペイン・マドリードのカラマリが美味しいお店


実は世界一周の旅は1年ぐらい前から
企画&準備が始まっていた。



私は発起人ではないが、
参加するメンバーとの
調整も必要だろうし、
何より、この旅に行く目的や
意図を明確にしておかないと、
複数の人たちでの行動となると
途端に大変なことになる所だった。




私はただでさえ海外に行くことに
不安が大きかったので、
その1年間でできるだけ
海外での研修があれば、
行くようにした。



パラオ・インド・オーストラリア
パリ・スイス・ドイツ・タイ


など、積極的に
海外に慣れていくように。



そして、
この世界一周の旅は
標高の高い場所にも行く。




体力をつけるためにも、
トレイルランや
100キロウォーキングなどの
イベントにも積極的に
参加して、
基礎体力を上げていった。



そうやって1年間準備を着々と
進めていて、
資金の心配をしなくていいように
精力的に仕事も励んだ。



だけども、
ビジネスの面でなかなか
思うように行かないことや、
本来ならば発生しなくていい
余計なコストがかさむトラブルが
この期間は本当に多かった。



会計のトラブルや
会員サイトのシステムトラブルで
まとまって大きなお金が出ていく。




なのに、問題は解決しないまま。



その他にも、
「そんなまさか!」
と言いたくなるような
ネガティブなことが度々あった。




「現実は自分で創っている」
と常に発信しているからこそ、
自分の内面をこれでもかというぐらい
内観したし、
謙虚になって
他者にアドバイスも真摯に求めた。



だけども、
事態は好転しない。



それが約2年ほど続いた。



運勢を見れる人の所へも
行ったが、
どうやらその2年間は、
大殺界とか、
天中殺とか、暗剣殺とか。




この2年間はとにかく
いろんなもので調べると
全部悪い時期と鑑定された。



四柱推命とか九星気学とか
他にも色々あるが、
今まで私はあまり真に受けて
信じたことがなかった。



良いことを言ってもらったら
そこだけ信じるみたいな感じだ。



しかし、この2年間は本当に
凄かった。




何をどう努力しても
対策しても歯が立たないぐらい
悪い時期だったんだと

思い込める材料に
逆にほっとした。



そして身をもって
体験した苦しい時期から、
統計学で出る人生のバイオリズムは
少しは信じても良いのかもと

思った。


ホロスコープももちろん同じく。




世界一周の旅にでる数か月前に
タイで目に見えない世界から
メッセージを降ろす
覚者に相談できる機会があった。



「今、私の人生は
上手くいかないことばかりです。
何が起きていますか?」



と。


私の何を改めたら良いか
教えてもらいたかった。



ところが覚者は言う。



「本当に散々だっただろうね。
今はそういう時期だから
仕方がない。
来年の3月から良くなっていくから
それまで辛抱しなさい。」



と。



相談したのは2025年の11月。


もちろん世界一周の旅を控えていたので
そこに行けるのかどうかも含めて
質問したかったが、
そこまで詳細には聞けず、
とにかく来年の3月から良くなるという。



どうやら対策はなく、
ただ耐えるしかないらしい。

エジプトは一生に一度は訪れてみたい場所だった。


世界一周の旅は1月末から始まる。

間に合わない。
行けないかもしれない。


旅は「1/26~3/9」までだ。



覚者はもう一つ大事なことを教えてくれた。


「これから悪魔が襲ってくるよ。
だけど、気にしないで。
それはマーヤだ。
そのまま進みなさい。」



と。


マーヤとはサンスクリット語の
概念で「幻影」という意味。



まさにブッダさんが悟る前に
襲ってきた悪魔だろうか。



それを幻と見抜いたときに
道は開けるのだろうか。



そんなことよりも何よりも、
世界一周の旅に行けるのかどうかだけが
私の気になる所だったのに。



肝心なそれが聞けなかった。
なぜそれが重要なのか。


世界一周の航空チケットは取得済み。



それまでの準備期間や
行ってきたこと、
事前の予約している払い戻しできない費用。



などなど。


サンクコストを考えると
「旅に行かない」選択をするのは
この時点で結構勇気がいること。



それが直前になればなるほど
大きくなる。



決断は早めがいいのに、
決めきれないままズルズルと年末にさしかかる。



さて。

例の覚者が伝えてくれた
悪魔というマーヤはどうなったか。



日程が近づくにつれ
その動きは激しくなる一方。



本当に悪魔だ。


そう思えるぐらい毎日ひどい幻影に
寝ても覚めてもうなされてた。



これは言葉にして伝えたところで
他者には理解できないであろう。


内面的な認識で起きていることだからだ。


でも今なら、言葉にできない苦しみを
抱えている人の気持ちがわかる。


それが本当のギフトだったと思う。




本当に苦しかった。



しかし、後にも述べるが、
この苦しみがあったからこそ、
旅の期間すべてを経て
大きく生まれ変わることが
できたと思う。



理想の人生を生きるために、
人生には上手くいかない期間は
必須なんだと改めて今思う。


■旅のスタート時:物事を軽く見積もる癖


先にも触れていたが、
この2年間は、
強制的な人生の機能不全が起きていた。


努力・頑張り・過去の成功体験が全く機能しなくなる。


組織や仕組み構築、
集客・売上に関して、
空回りし上手くいかない日々。



この42日間の旅は、
細かくこれまでの2年間で
何のエラーが起きていたかを
教えてくれる旅となっていた。




もちろん、
行く前はそんなことわからないし、
旅の最中もそんなことは
わからないようになっていた。



中盤あたりから、
この旅を一つの
ノンフィクションのドキュメンタリーとして
文章に残したいと思うようになった。




私の中ではこの物語の
起承転結があまりにも
作られた物語みたいに感じたからだ。



人生ってそういうもの。



これまでも
数々そういう体験をしてきたが、
今回の人生の転換期に起きたことは
何度も見返して
楽しみたいと感じた。




と、同時に、
「今という瞬間を見逃すなかれ。」
というメッセージも
必要な人に届いたらいいなと思う。




この旅で嫌というほど
気づかされたのだが、
今というこの瞬間には
本当にたくさんの奇跡を
見つけることが出来る。



これに気づけること自体が
もうこれ以上ない幸運なんだと思う。



さて、
「物事を軽く見積もる癖」
というテーマがココではポイントに
なってくるのだが、
これはこれまでの2年間に起きていた
現実のエラーに気づかなければいけない
私の一つの特徴だ。




これによって、
一緒にお仕事をしてくれる方々に
迷惑をかけていたんだと
後で気づいた。



会社の会計を担ってくれている
税理士さん。


ジョイントでビジネスを運営してくれていた
かつてのビジネスパートナーの方々。


会員サイトのシステム構築の
エンジニアさん。


そして、私の会社に縁があって
仕事仲間となってくれた方々。



私は、被害を被った側の立場でしか
物事を見ることが出来なかったが、
そもそもその位置に自らで行くことを
招いたのもまた自分だったことに
気づかなければいけない。




物事は全ての人が関わっているので、
たった一人が原因で起きる事象なんてない。



だから、何か事が起きたときに、
一人、もしくは一部だけが原因で、
その範囲だけが責任を担っている。


なんてことはない。




そして、この現実は私が観測者。


観測者の私が
被害を被ったと判断する出来事に関して、
私以外の人だけが原因なわけがない。



観測者の現実を捉える力が
とっても重要だ。



思い込みに偏った見方をするのか、
事実をありのままに見るのか。


その出来事を招いた当事者の意識を
もたないと、
現実はよく見えてこない。



そして、当事者の意識を持った結果、
いつも被害を被ったと感じる現場には、
自分自身の「物事を軽く見積もる癖」が
あったかもしれない。



つまり、
その癖が発動した私の言動すべてに、
他者が私へ害を及ぼすと見せる
行動を私自身がアシストしていた
可能性がある。



ということは、自作自演だ。


自分で仕掛けておいて、
「こんな大変な目に合った」と
思い込む。



そしてそう思い込んだ私は、
きっと相手に対して暗にネガティブな
コミュニケーションも取っていただろう。


それらに旅の途中で段々と気づかされる。



これまで出会ってきた方々に
申し訳ない気持ちを感じると同時に、
私のその態度に穏便に対応してくれた
彼ら彼女らに敬意すら感じる。



もちろん、
過去の記憶なので美化されているだろうが、
そう思うことによって
自分の罪悪感が軽減されていく感覚が
なんともいえない。



そうやって罪を免れようとしている
自我やエゴが笑えて来る。



笑えてくることで、
その場から逃げようとしている。



それもまた癖だと、今なら気づく。



でも、この
物事を軽く見積もる癖については
別の顔もあって、
悪いことばかりではない。



綿密に計算しすぎないことが、
未来を想定以上の
歓びの体験として受け取ることも
多々ある。



今回の旅では、
ある意味それも享受できた。



これも自分にしかわからない
歓びだが、
これから先、
上手くいくとしか思えないぐらいの
安心感と確信に満ちている。



・ドバイ
・カイロ
・マドリード



ここは旅の序盤。



ドバイ・カイロに関しては、
ここを訪れた数週間後に
中東の戦争が始まった。


世界は常に動いている。



日本も世界の一員。


日本だけの範囲で物事を
考えることが
いかに盲目的であるのかを
旅をしながら改めて思い知る。




そうそう。


序盤のドバイ滞在の時に、
私の人生の歯車が上手くかみ合わない
原因が明らかになっていた。



しかし、私自身、
それがどれだけ人生において
問題を引き起こしていたのか
このあと思い知ることになる。



物事を軽く見積もる癖の中には、
私自身が発する言動が
どのように周りに解釈されているかが
私自身、全くわかっていなかった
ということも多分に含まれる。


■南米①:思考が消える


この旅の一番の目的は、
ウユニ塩湖に行くこと。



しかも、
映えの写真を撮りに行くことが
一番の目的ではない。



ロケーションが素晴らしすぎて、
映える写真しか撮れなかったが。



それぞれの参加メンバーの
旅の目的には
これまでの既成概念を
超えていくようなテーマが
あったように思う。




私は参加メンバーそれぞれに
音声でインタビューする役割を持った。
旅の目的や、気づき、
得られた感覚や今後の展望など、
それぞれの心の中にすでにあるものや
土地土地で新しく湧いたものを
発掘するべく
インタビューの役割に張り切っていた。



実はここにも、
これまでの2年間、
私自身の現実がなぜ
上手くいかなかったのか。



そしてなぜ、
現実が常に望まないもので溢れ
不安や恐れにまみれる日々を
過ごすことになっていたのかが
浮き彫りになってきた。



この時点では全くわかっていなかったが
終盤にそれらの回答を一気にもらって
愕然とする。



それについては
後半の南米で明らかになるので
後ほど触れるとして、
前半の南米はとにかく心が
静まり返っていた。




訪れた国はこちら。

クスコは素敵な街でした。絶対また行きたい。


・クスコ
・マチュピチュ
・ラパス
・ウユニ



南米のイメージは、
恐くて・汚くて・不便。



麻薬組織のイメージも
勝手に強く持っていたし、
先進国というイメージがなかった。


が。



この解釈については、
日本の中だけで暮らし、
日本語の限られた情報だけで
生きていたら当然だろう。



世界に出れば出るほど、
自分自身がいかに狭い範囲で
息をしていたのかがよくわかる。



もちろん、
それ自体は悪いことじゃない。
どんな環境や状況にも
善し悪しはある。



私から見た南米は
偏った見方かもしれないが、
少なくとも過去の私が思い描いた
南米とは180度違っていた。



町並みは美しく、栄えている。
食事は美味しく、人は陽気で優しい。


「気」の良い場所ばかりだった。


クスコに到着してからが特に、
初めて訪れた場所なのに、
とても懐かしい感覚だった。



そこからマチュピチュを
訪れたのだが、
遺跡の感動もさることながら、
大地からのエネルギーに
とても身体が反応していた。
強制的に「感じる」モードになって、
思考が働かなくなる。



クスコ、マチュピチュで
思考できない状態への
スイッチが入ってから
ラパス、ウユニとずっと
その感覚は強まっていった。



考えようとしても全く考えられない。
思考がまるで泡のように消えていく。



旅の様子をシェアしている
オープンチャットでも
言葉で伝えることが出来ずに
画像を送るだけで精いっぱいだった。



そして、不思議なことに、
不安感や心配や恐れの感情が
全くなかった数日間だった。



理由をこじつけるならば、
標高が高いこともあって、
天に近い大地にいたからかもしれない。




天と繋がっていたのだろうか。



マチュピチュ山にも登ったし、遺跡もたっぷり探検しました。歴史にインスパイアされました。

あとから調べて知ったのだが、
標高3,400mを超えると、
脳への酸素供給が平地より20〜30%減る。


論理的思考を担う前頭葉が静かになり、
代わりに直感や洞察に関わる
回路が前に出てくる。



思考が消えたのは比喩じゃなく、
文字通り脳の状態として
起きていたことだった。


「いまここ」を強制的に感じて
不安や心配や恐れの思考を
手っ取り早く消すなら、
標高の高い場所に行くのが
おすすめだ。




ちなみに、
ここにいる間にたくさんの
インスピレーションを受け取った。


思考が消えるので
直観力はかなり高まる気がする。



それを受けて
確信が深まった。



「私はもう大丈夫だ」



ただ、ここでは論理的思考が
全くできない期間だったので、
何がどう大丈夫なのかは
全く整理できていない。




だけども、
これまでの2年間の苦しみは
必然で起きていたし、
体験しなければならなかった。



そして、その体験から得られる
気づきや学びが
今後の人生の大きな利益を
もたらすことになることが
感覚としてわかった。




この後の後半の南米の旅で、
答え合わせの出来事が起こり、
感覚だけではなく思考でも
大丈夫だと確信できる答えを
受け取ることになる。




ただ、
自我の解体にはいつだって
痛みはつきものだ。



新月の星空ツアーは最高過ぎるので、人生に何度も訪れたい。

■南米②:浅はかさと傲慢さと無知を知らないエゴ丸出しの自分で恥に溺れる


いよいよ南米の後半に突入。

ここで、私は自分の醜さを

改めて思い知ることになった。


旅の終盤にはやっぱり
静かに蓄積していた疲労や
気づかないフリをしていた
ストレスが、
自我の暴走を後押しする。




南米の前半の2週間は
ずっと標高の高いところに
いたせいか、
思考が消えていたが、
後半の2週間は疲労とストレスによって
思考が正常に機能しなくなっていた。



そして、
自我が暴走しないように
いつも見張っている
「いまここ」意識の門番も
同時に機能しなくなっていた。




優秀過ぎる心の機能が
エラーを起こし、
暴走すると、
自我(エゴ)の負の側面が
ネガティブな現実を
体験させてくる。



時々食べられる日本食は本当にほっとします。サンパウロで味噌ラーメン。

後半訪れた南米の国はここ。


・サンタクルス
・サンパウロ
・イグアス
・ブエノスアイレス
・サンティアゴ




海外を旅するとき、
私にとっては
食事をしに外に出かけるだけで
気力と体力を大幅に消耗する。



できるだけじっと部屋にこもる時間を
多くとりたかったが、
後半の南米も
私にとってはとても
移動がハードだった。




移動してる間は回復するどころか
気があちこちに働いてしまうので、
消耗が激しい。



そして、一人の静寂の時間に
回復するのだが、
そもそもその時間が取れない。




これはまずい。




私の中に、度々出てくる悪い癖がある。
自我(エゴ)の負の側面だ。



相手に頼まれてもいないのに、
「あなたがもっとよくなるにはこうしたらいい」と
話の展開を持っていってしまうこと。


旅の後半でも、それが顔を出した。



旅の仲間に
偉そうに持論を展開し始める私がいた。



相手は理解しようとして、
なぜそうするのか、
どういう状況に例えられるのか、
と色々と返してくれた。




でも私は、
ろくに説明もできないまま
「こうしたらいい」の一点張り。




自分が論理立てて
説明できていないことを棚に上げて、
理解できない相手を責めるような
コミュニケーションをしていた。



今思い出しても、
あの時の自分を消滅させたいぐらい
恥ずかしい。



そう簡単に不快な心になるほど
みんなの心は狭くない。


私と違っておおらかで優しい人たちだ。



なので、ここも引き続き
私の偏った視点での
感覚で綴っていくが、
「他人を不快な気持ちににさせてしまった」
と、気にしすぎて、
自分を必要以上に責めるのもまた、
自我(エゴ)の暴走パターンだ。




自分責め
自己否定
自己憐憫
被害者意識
自分が正しいと思い込む
優越感や劣等感
激しい思い込み
自分視点だけの偏った解釈



ありのままの事実を見ることができず、
こういった上にあげたものが
強く表れる状態は
まさに自我の暴走。


滝の近くはびしょびしょになる。こちらはブラジル側からのイグアスの滝。

ちなみに自我は悪いものではなく、
この世界を認知するためには
必要不可欠な機能である。



「いまここ」の意識で
偏った解釈や判断を無くして
その機能を活用するなら
とても優秀な役割を果たしてくれる。



このように文章を書いたり、
構造を理解したり、
他人の気持ちを理解しようと
思いやれる心は
優秀な心の機能として自我が
活躍する。



この優秀な心の機能が
エラーを起こして暴走すると
世の中で言われている
エゴ丸出しの困った存在と
なり果ててしまう。



まさに後半の南米の旅の期間、
私の中からエゴが
前に出てきて参った。



・浅はかさ
・傲慢さ
・無知を知らないエゴ



これらは私にとっては
同義語のようなものだ。




トリプルコンボで
使いたくなるぐらい
自分の自我の暴走に
恥じ入る期間だった。




何が起きていたかを書き出すと、
原稿用紙数枚分が必要になるので、
細かい描写は省く。



しかし、
この2年間に起きてきたことが
この数週間のフラクタル構造で
かなり理解できた。




旅の仲間へのインタビューの仕方。
道中の周囲の人への配慮。
自分の在り方。
離見の浅さ。
他者視点の想像力の欠如。
言語化の怠慢。
見積もりの甘さ。
思いやりの欠如。



こういったことについて
自分の至らなさを
よくよく見つめさせられた
期間ともなったし、
これらがどのように
この2年間の現実にエラーを
起こしていたのかも
さまざまな階層で見えてしまった。



一つ、具体的な所で言うと、
旅の仲間へのインタビューの仕方が
完全に失敗だった。



その場面はさまざまある。



例えば、
ある日インタビューをしようとした時、
相手の眉がかすかに歪んだ。



「え。まだやるの・・・」


その言葉はなかった。


でも雰囲気でそう言われた気がして、
その一瞬で、私は録音用のスマホを
さっと引っ込めた。



他にも失敗例はいくつもある。


例えば、
会話の中で、相手からこんな言葉が返ってきた。


「あなたが欲しい答えはきっとこれだよね。
でもその期待には応えられない。」



そう言わせてしまうインタビューを
していたのだと、その瞬間に自覚した。



他にも、


「旅はどうですか?」

毎回、私から出てくる言葉はそれだけだった。



この「どうですか?」という
ざっくりしすぎた質問。


相手に回答の責任を
すべて負わせる雑な質問しか
できない無力な自分を毎回感じていた。



こう質問されたら
何をどう答えて良いか相手は困る。


毎回これだと
インタビューされること自体が
苦痛になって当然だ。



相手から良いメッセージを
引き出したいという欲がある上に、
雑な質問しかできなくて
相手任せで深みのあるメッセージを
要求する姿勢に
実は自分で気づいていた。



自分の中でもそれは良くないと
思いつつ、焦りも生まれていた。



そんな状態では、
私自身が会話を楽しむ余裕がなかったし
相手から何かを奪っていたように思う。



ボールをキャッチするのではなく、
ひたすら乱暴に投げ続けていた。



もちろん楽しく会話してくれている場面も
たくさんあったが、
それは完全に相手の器の広さや力量が
その場面を創ってくれていたのだと思う。



いつも素敵な心配りに、
旅の仲間には感謝しかない。



一方、乱暴なインタビューしかできない
自分をまざまざと自覚する日々。



気づいたら、
毎日やると張り切っていた
インタビューが
実施できなくなっていた。




眉が歪んだあの瞬間。


「その期待には応えられない」と
言われたあの瞬間。



私は後から気がついた。



相手にとって私は、
その瞬間でしか生まれない
まだ見ぬ新しい価値を
共に作り、共に楽しむ相手には
なれていなかった。



安心して、
リラックスできる空間すら、
私は作れていなかった。




それなのに、私はずっと、
それらができていると
勘違いしていたんだ。



私のコミュニケーションのスキルが
通用していると思い込んでいたのは、
私にとって慣れ親しんだ
狭い範囲の中だけだった。



しかもそれは旅の途中で
ある人から教えてもらったことだが、
狭い範囲ではある
構造が成り立っている。




たとえば、
ギブアンドテイクというのが、
対等な交換だったとして。
(私はAを出す、あなたはBを出す)




私が上にあげた
「慣れ親しんだ狭い範囲」
の構造は、
非対称な交換の関係性だった。
(私が上の立場・持っている側、
 あなたが下の立場・受け取る側)




上の立場の人は
知識やスキルや体験や気づきを出す。


下の立場の人は
お金やそれに代わる何かを出す。


それの交換。



つまり私が相手(クライアント)の
人生を変化させる
秘訣を持っている側、
教える側、
変化させる側、
引き出す側。



相手(例えばクライアント)が
秘訣を知らないから受け取る側、
教わる側、
変化の機会をもらう側、
引き出される側。




こういう関係性の
「お膳立て」があって
初めて成り立つスキルだったということ。



この旅の間は、相手は
私のクライアントではないため、
何も望んでいない。



引き出す側と、引き出される側という
「お膳立て」が通用しない。



今までの狭い範囲で通用していたと
思い込んでるコミュニケーションを
相手に強いていた私。



相手には交換する
「もの」や「動機」がないため
インタビューして良い素材を
残したいという
私側の一方的な交換材料が、
相手から何かをむしり取る関りに
なっていたということ。




そもそも、お互いの何かを差し出す
「交換」という
構造自体が関係性を固定してしまうので、
この旅では、それを超えたところ
もしくはその外側での
やりとりが理想だった。




というのをこの記録を書いている際に
ある人からのたくさんの助言もあって、
ようやくそれに気づいた。



これはアルゼンチン側から見るイグアスの滝。悪魔の喉笛と呼ばれているそう。

どちらも最初は何も
交換する動機のない関係性。



だけども、一緒にいることで
何かが生まれていく。



そんな創造を共に楽しめる
機会であることが
理想的だったんだ。




「狭い範囲で成り立つ関係性」
を一歩出ると、
私はただの無力で無知で、
傲慢で嫌なやつだったように思う。



いや、狭い範囲の中でも
そうだったのかもしれない。



私はずっと、
間違った評価を、
自分自身に下していたんだ。




張り切って意気揚々と
インタビューの役割を引き受けた自分が、
今となっては目も当てられない。



これらを自分の中に
見せつけられて、
恥の極みにいた。



今もまだ、その恥は消えていない。
ただ、一つだけ残ったものがある。



旅の中で発揮できなかった、
純粋に人に興味がある自分。


この世界に現れるすべての人が
自分だと感じる、あの感覚。


それでいて他者との
違いそのものを楽しめる、その力。



それはずっと、私の中にあった。



ただ、それを使う余裕が
旅の後半には全くなかった。


そして気づいていなかった。




「引き出す側」でいることが
正解だと、ずっと思い込んでいたから。




このことから今思えば、


・努力・頑張り・過去の成功体験が全く機能しなくなる
・何をどう努力しても対策しても歯が立たない


という2年間があったけど、
この期間、無意識にアクセルを
踏まないようにしていたのかもしれない。



なぜなら、体のどこかが知っていたから。


その方向に進んだら、
自分も相手も苦しくなると。



交換するものを用意し続け、
常に先生や師で在り続け、
教え続け、育て続け、
チャレンジし学び続けたものを
生徒や弟子に渡し続ける。



そして、相手もまた
その関係性の中で
求め続ける。




その結果、生徒や弟子の立場は、
無意識に師を超えないようにするか、
与えることができなくなった師を
見限る形で離れていくかの
結末になりやすい。




師の立場になると、
下から超えられる恐怖や
見限られる恐怖も
あるかもしれないし、
師を超えさせないような力学が
働いてしまって
お山の大将的な構図になるかもしれない。




アクセルを踏んで進んだ先には
そんな光景があるんじゃないか。


そんな風に感じていたのかもしれない。




今回の旅では、
それが明らかになって
言語化できた。


そしてこの気づきが、
これから先の人生で
一番重要なものになる気がしている。



これまでの上手くいかなかった
構造の解体が起きて、
新しい観念や在り方というのが
私の中に残った。



解体された古い構造は、
非対称な交換の関係性。
(こちらが師のポジション、持っている側
 相手が生徒・弟子ポジション、受け取る側)



もともと自分が師や先生であるとは
全く思っていなかったし、
そのような関係性は
今まで築いてきていないつもり。

アルゼンチンのブエノスアイレスは南米のパリと呼ばれている。美しい街でした。



しかし、

・価値を提供する
・役に立つ
・教える、伝える
・情報を発信する


というスタンスである限り、
暗にこちらが
情報を知らない相手に伝えるという
前提に立っているので、
意図せずとも結果的に
非対称な交換関係を
作っていることになる。




私の中に重要なものとして残ったのは、
交換の外側にある関係性。
(お互いが一緒にいることで
 これまでになかった
 新しいものが生まれる)




これからの人生はこっちで生きたいと
望んでいるということだ。


旅の中でも前者の在り方が
顔を出したときはやっぱり苦しかった。




ギブアンドテイクではなく、
大から小への片方向の関係でもなく。



共に価値を生み出す
協力関係の
双方向で循環する生き方へ。



口では共に価値を生み出すという価値観の
共創を謡っているが、
前提の在り方は
前者の時の奪い合いともなる
交換関係をやっていたことにも気づけた。




恥の極みにいたところから、
そんな重要なことに気づけたのでは
ないかと思う。




自分の中では生まれ変わったぐらいの
前提の転換が起きた。




旅の道中、
そんな愚かで浅はかで
傲慢で無知を知らない自分と
何日も付き合ってくれている
旅の仲間には
尊敬と感謝の念しかない。




なんせだ。


エゴは
自分から仕掛けておいて、
被害者的な立場をとったり、
私は正しいと言わんばかりの
言動・態度を平気でする。



どの口が言うんだという
上から目線での
説教まで始めたりするから
困ったものだ。




自分でそんな自分を哀れにすら感じた。
エゴの解体時には痛みがつきもの。



痛みとは、一旦エゴの暴走が
自分の中にあったと
自覚した時に出てくる
強烈な恥と罪の感覚。



この痛みこそ
「いまここ」の意識で生きることの
新たな決意になる。



そして、
ありのままの事実を見て
優秀な心の機能を活用して
望む現実を生きることが
できるように仕向けてくれる。



何より。



この痛みを経験しないと、
本当の謙虚さには
たどり着けないのではないかとすら
思う。




自分の中にエゴを見つけ、
それがどのような作用を起こし、
周りにどんな影響を与えているかを
直視できた時、
謙虚さが心の底から溢れてくる。



まるで感謝みた
いに、
謙虚さも、感謝も、
「する」ものじゃなく
「湧いてくる」ものだったんだな。




今回、言葉で直接的に教えられるものでは
全く捉えられない次元の学びと気づきを
幾階層にも渡って受けた。



ほとんどが内面的な
「体験」や「認識」として
理解されるものばかりなので、
できるだけ言葉にしてはみたものの、
表現しきれていない気づきは
山のようにある。




前半の南米で感じた直感的な


「私はもう大丈夫だ」


という確信は、
後半の南米で自分なりに
整えられて腑に落ちた。




これは、
今後大丈夫じゃないことが
再び起きても大丈夫だ。



という意味。




言葉で直接的に教えられるものでは
全く捉えられない次元の学びと気づきで。



チリのサンティアゴもビルの合間に見える山が美しかった。海鮮が美味しい。

■終わりは始まり



ここまでをメキシコ・カンクンで
書いていた。


カンクンではここまでの
緊張や疲労を一気に回復させる
癒しの場所だった。



チリのサンティアゴを
後にしたら、


・カンクン
・サンフランシスコ


で、世界の旅は終わる。





今、カンクンからサンフランシスコに
移動する飛行機の中で
このまとめを書いている。




旅をしている最中に
これらの記録をまとめられて良かった。



できるだけ新鮮な時に
言葉に残せるので
伝わるものもまた
新鮮なものが記録される。



さて、
冒頭に触れていた、
ウラヌスオポジションについても
改めて考えたい。



*********


変化を恐れずに自己変革を受け入れることで、
より自由で革新的な人生へと
進化できるチャンスとも解釈される


*********



とあったので、
生き方や仕事の仕方を
変えていこうと
旅の間に考えた。




今まで、これをやれば上手くいくという
成功法則を握りしめて
頑張っていたけど
なんだかその限界を感じている。




そんな状況にあったし、
実際に自分が体験して
上手くいった方法が
全く機能しなくなっていた。

メキシコ・カンクンはやっぱり楽園でした。行く前から何らかの苦しみは感じる予感はしてたので、絶対に最後に訪れたかった笑




そろそろ新しい人生へと
切り替えが必要なのではないかと
感じていた自分がいた。


しかし、どうしていいかわからなかった。




この世界一周の旅は、
強烈に道を指示してくれる
42日間となった。



自我の意図や作為を手放して生きてみようと
チャレンジした結果の私の報告だ。




旅の後半では、
手放したはずの自我が
自分の中で暴走していたことは
滑稽だったが。




この旅が終わるころには、
今まで生きていた人生の台本を捨てて、
新しい人生の台本を握りしめている
ことになってる。



そして、私は旅の終盤に
ようやくアップデートされた
次の人生の台本を手に入れた。




わずか1カ月ちょっと前には
危機的状況だと思っていた。



かつてのあのころとは
別人になっている自分がいる。




※42日目の旅の最終日に記録は完成しました。


■乗り換えも含めて訪れた街

・シンガポール
・ドバイ
・カイロ
・マドリード
・ボゴタ
・クスコ
・マチュピチュ
・ラパス
・ウユニ
・サンタクルス
・サンパウロ
・イグアス
・ブエノスアイレス
・サンティアゴ
・パナマ
・カンクン
・サンフランシスコ

最後はサンフランシスコで締め。ここでホテルにこもってこの記録を書いていたよ。
苦しみはもう終わり!青い海を見て新しい自分を生きようね!
マイペースにのんびり生きてる動物たちが可愛かった^^
他人がいてくれるおかげで自分が知れる。私と出会ってくれたすべての人に感謝だ。現実は私を映し出す鏡。

最終編集日 2026年3月7日 サンフランシスコ時間 17:33

長い記録をここまで読んでくれてありがとうございます。
書きながら、はっきりしてきたことがあります。

2年間、私は無意識にアクセルを踏まないようにしていました。
体のどこかが知っていたんだと思うんですね。

その方向に進んだら、自分も相手も苦しくなるということです。
なぜそう感じていたのか、続きはこちらで。

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